公開質問

朝日新聞 様 日本新聞協会 様

・新聞の正義が問われています

 私は、3年ほど前から朝日新聞の虚偽報道を趣味で調べています。「中国の旅」「従軍慰安婦」の報道は日本人に自虐史観を植え付けて共産主義を美化するために、犯人を付け替えた歴史捏造報道ではないのですか?

 戦後GHQは日本に軍国主義が復活しないように検閲と宣伝効果でWGIPを行いました。日本人が残虐な侵略戦争を行ったと歴史を捏造して自虐史観を植え付けたのです。日本社会を左傾化させるために、共産主義を美化して保守思想を糾弾したのです。主権回復後もマスコミや教育界に共産主義は根強く残り、WGIPを引き継いで1960年には学生運動を煽りました。現在も中国共産党の圧力で日本のマスコミでWGIPが行われていると推察できます。

 共産主義が原因で、中国では政策失敗、韓国では朝鮮戦争で甚大な被害がでており、日本人も被害を受けています。その被害は殆ど報道されません。共産主義を美化するためにです。それどころか、中国・韓国の起こした残虐行為や戦争犯罪を、犯人を日本人に付け替える歴史捏造報道が朝日新聞で行われ、日本のマスコミ全体が結託して、容認・擁護していると推察できます。報道機関を名乗るなら真実を明らかにするべきです。

 1950年 毛 沢東は中国に残留して国民党と共に戦い、投降した日本兵140名に共産主義を教え教育します。7月 ソ連に要請してシベリヤ抑留者から969人を選別して、中国の戦犯管理所に移送して手厚く保護しつつ共産主義を教えて、自身が犯したり目撃した残虐行為を自主的に告白する「認罪運動」を5年以上行い洗脳しました。「南京大虐殺」を始めとする日本人残虐行為の証言者と証拠を偽造していたのです。

 1956年から中国共産党に罪を許されて、帰国した元日本兵の一部は、「中国帰還者連絡会」を創立し「反戦平和運動」「日中友好運動」を展開しました。1958年 毛 沢東は「大躍進政策」を行いますが、600万人以上の人民を処刑死・拷問死させて、産業・インフラ・環境の大破壊を引き起こした結果、1,000万人以上が餓死する大飢饉が起こるのです。1961年 毛 沢東は復権を画策し、紅衛兵と呼ばれた学生運動や大衆を扇動して政敵を失脚させるために「文化大革命」と言う官製暴動を始めます。死者数は数百万人から2,000万人以上と推定されています。

 1970年 内戦状態にともない経済活動が停滞して、中国内の疲弊はピークに達し騒乱は次第に沈静化していきます。技術も文化も失った中国は国民党が放棄した日本の戦後賠償の代わりに、日本からの経済支援と技術供与を切実に欲していました。そのためには中国が日本から甚大な被害を受けたと歴史捏造する必要がありました。

 1970年3~4月 朝日新聞は広岡 知男社長の独裁体制となってました。親中派の国会議員と共に広岡 社長が訪中します。中国共産党に1ヶ月間も歓待をうけ帰国します。9月 朝日新聞社以外の全ての中国特派員が国外退去処分になりました。10月 広岡 社長は新聞協会主催研究会で「中国の意向に沿わない記事は書かない」と明言します。

 1971年8月~12月 現地ルポと称する「中国の旅」を連載報道します。報告者は本多 勝一記者です。連載は「平頂山事件」「万人坑」「南京事件」「三光政策 」の4部に分けて報じられました。中国共産党の用意した証言をそのまま載せて、事実であるかのように装った悪質なルポです。周 恩来首相の独占会見と連動して行ったのです。

「中国の旅」の内容は1950年から中国共産党が、中国残留日本兵やシベリヤ抑留者を中国の戦犯収容所で教育して捏造した物です。「中国帰還者連絡会」は朝日新聞の報道に合わせて、中国共産党が用意した内容をそのまま証言しました。本多記者は何度も「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけ」だと発言しています。

 他の大手新聞社も捏造と知りながら、中国共産党に特派員を受け入れて貰うために、「中国の旅」の報道を容認・追従したのです。元々GHQのWGIPで共産主義に偏向して学生運動を煽っていた日本の大手新聞社は、この時から歴史捏造の共犯者となったのです。中国共産党を礼賛することで報道機関としての正義を見失ったのです。

 1972年9月29日 北京で日中平和友好条約に向けて共同宣言がなされ 、日本は中国に対して長期にわたる経済支援と技術供与を行うことになります。1982年 日中友好10周年です。南京市に「南京大虐殺記念館」を建てるために社会党の田辺 誠書記長は3,000万円を中国共産党に寄付します。「吉田証言」の本格的な報道もこの年からです。

 1984年 朝日新聞は「南京大虐殺」の証拠として写真3枚と南京戦に派兵された元日本兵の日記を掲載します。これに対して、南京戦に派兵された元日本兵の有志からなる「都城二十三連隊会」が行動を起こし、写真を調査して別の場所の写真だと確認します。「都城二十三連隊会」は朝日新聞に対して「南京事件」の記事取り消しや謝罪文掲載の要求をつきつけます。朝日新聞記者は了承したのでした。

 しかし、1985年1月22日「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」と報じて写真の偽造は認めますが、約束を破り「南京事件」の記事取り消しには応じません。「都城二十三連隊会」は朝日新聞に対して不信感をつのらせて日記の開示を迫ります。朝日新聞は、取材情報源の秘匿を主張し、筆跡鑑定のための開示は拒んだのです。

 南京大虐殺の証拠とされる日記は50冊以上見つかっていますが、いずれも戦場で持ち歩きにくい大判で、万年筆を使って書いてあります。戦時中はインクは入手困難でした。漢字の使い方も戦後に改定された物で、研究者により全てが戦後に偽造された物だと判明しています。南京大虐殺の証拠とされる写真も全て別の場所での写真のキャプション付け替えや、コラージュで作成された物、酷いものは映画からの流用で、全ての物が偽造だと判明しています。

 1985年 本多 勝一記者が写真の偽造を認めた事で、南京大虐殺が虚報か史実か公論化しそうになります。すると朝日新聞は靖国神社への公式参拝を中国政府が批判していると捏造します。何度も記事を書きますが、中国政府は現実には批判をしません、中国政府は日中平和友好条約を重視して、日本への批判を自制していたのです。

 朝日新聞は朝日の記事を引用した人民日報を中国の声として紹介します。東京と北京の間で同じ朝日の記事をキャッチボールして、騒ぎを増幅させていたのです。そして、8月27日 社会党の田辺 誠書記長らが訪中して中国政府を説得して、姚 依林(よう いりん)副首相が「東條 英機ら戦犯が合祀されている靖国神社に参拝することは中日両国民を含むアジア各国人民の感情を傷つける」との発言を取り付けたのです 。

 実際に南京市で、掠奪・強姦・虐殺・放火を行ったのは中国国民党軍です。さらに撤退戦の不手際で多くの中国兵が落命しています。朝日新聞は捏造報道で犯人を日本軍に付け替えたと推察できます。韓国の済州島で島民を虐殺して女性の強制連行を行ったのも、20万人もの慰安婦で国営売春していたのも韓国軍です。朝日新聞は捏造報道で犯人を日本軍に付け替えたと推察できます。共産主義を美化して、保守思想に圧力をかける歴史捏造報道です。

 歴史捏造は日本人に罪悪感を植え付ける事で、中国・韓国への経済支援や技術供与を正当化して、現在も行われている中国の残虐な侵略行為を隠蔽した上で、日韓関係を悪化させる事で相対的に中国共産党への信用を高めて、日本人の警戒心を軽減させる意識誘導と共産主義を布教するのが目的だと推察できます。国民との信頼関係で成り立つ報道機関である新聞社は、マスコミの代表であり重要な社会の公器です。新聞社が情報操作をしているとすれば由々しき問題です。共産主義の被害や残虐性を正しく報道する義務があるはずです。

 新聞社が真実を隠蔽し、捏造された歴史を言い続けて日本国民の意識誘導を行う事が容認される社会では不安です。新聞社が結託して、歴史捏造を容認・擁護するのは国民に対する背信行為です。TV放送を含めたマスコミ全体が中国・韓国に配慮した報道をすることで、その信頼はありえないほど低下しています。共産主義信者の研究者が多く、歴史事実の真相が全く分からなくなっています。しかし、 歴史事実を真相不明のままで放置して良いわけはありません。真相解明は報道機関の使命です。「南京大虐殺」「従軍慰安婦」の歴史捏造問題は報道機関である新聞社には避けて通れない問題です。

 朝日新聞が「中国の旅」を報道して今年で丁度50年になります。「万人抗」の記事取り消しを拒否して、金 学順さんの証言記事を報道して、丁度30年になります。歴史捏造問題にけじめをつけて、共産主義を美化するための情報操作や隠蔽を止めて、日本の新聞が正義に目覚めるには良い節目です。

 日本新聞協会が自主的に定めた新聞綱領には「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。」「報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。」とあります。国民の知る権利と報道機関の正義の下に、真実を追究して捏造報道を訂正してください。 

 安心して暮らせる社会の為に、民主主義が正しく機能するために、歴史の記録者を自認する新聞記者は歴史事実と向き合い、新たな資料を参考にして、朝日新聞の歴史捏造報道を再検証してください。朝日新聞を交えた公開論議をもって真相解明が行われることを要望します。今こそ報道機関としての新聞の正義が問われています。

 4つの質問を提示します。朝日新聞・日本新聞協会の公式な見解をお答えください 

Q1. 日本軍による「南京大虐殺」は本当に事実ですか?

Q2.「万人抗」(まんにんこう)は本当に日本企業の所業ですか ?

Q3.「河野談話」の元になった証言者に韓国軍慰安婦が混在していませんか?

Q4. 金 学順(きむ はくすん)さんは本当に日本軍慰安婦ですか?


・日本軍による「南京大虐殺」は本当に事実ですか?

 朝日新聞が1971年に報道した「南京事件」の要約は「1937年12月~2月 南京城に入城した日本軍が、掠奪・強姦・放火で30~34万人の中国人を虐殺した」という内容です。これは史実だとはおもえません、南京陥落時の南京市安全区の人口は約20万人で、大虐殺が実行されたと言う日本軍入城後には人口が増加しています。

 日本は大陸との緩衝地帯として大韓帝国の自立を求めました。しかし大韓帝国は主体性の無さから日本に併合を求めました。日本は受け入れ、朝鮮半島の代わりに中国の一部に満州国を設立します。当時の中国は国民党が支配していましたが、他に共産党や軍閥が存在していました。 

 1937年7月29日 中国の通州において中国人が、日本人の居留民200人以上を拷問した上で、猟奇的に殺害した「通州虐殺事件」が発生します。共産主義の軍隊は給料の代わりに、一般人に対しての、掠奪・強姦、を許可していたために治安が悪かったのです。日本軍は中国の治安を回復する目的で「第二次上海事変」を閣議決定します。

 12月7日 日本軍に包囲された南京城から蔣 介石(しょう かいせき)と中国首脳部は脱出しました。国民党軍は南京城の周辺で清野作戦を決行します。周辺の農村の住人を殺害して金品や物資を掠奪して、建物は放火して焼払うのです。日本軍に利用されない様に清野にするのです。

 11日 唐 生智(とう せいち )司令官は蔣 介石から撤退の指示を受けます。12日 唐 生智司令は全軍の各隊に包囲突破の指令をだしたあと、自分は長江左岸にボートで逃走します。司令官が降伏もせずに逃げ出した事で、指揮系統を失った各隊では、包囲突破・徹底抗戦 ・撤退命令・潰走兵の武力阻止、等の命令が入り乱れて混乱状態となり、多数の敗残兵が便衣に着替えて安全区に逃れました。城内でも掠奪が行われ住人が殺害され建物が放火されます。

 退却命令の不徹底から、狭隘な通路に殺到した中国兵達と、潰走兵の武力阻止を命令された部隊が衝突して、双方が発砲して大パニックとなります。銃撃の死傷者と後方からの圧迫で多数の兵士が踏み潰され、築かれた高さ2メートルに及ぶ死体の山を乗り越えた兵士の多くが垂直の城壁を急造ロープで降りようとして墜死しました。

 別の中国兵は挹江門、下関一帯に船を求めて押し寄せ、殺到します。国民党軍は揚子江の無断渡河を厳禁していて、違反者は武力で制圧だったので、同士討ちが起こりました。北部の長江へつながる挹江門には「督戦隊」が置かれて撤退する中国兵を虐殺します。撤退作戦の不手際により空前未曾有の惨劇が展開され、無数の中国軍兵士の生命が失われたのです。

 12月13日 南京城は陥落し、日本軍は掃討戦へ移行します。12月17日 日本軍は入城式を行います。南京市の避難民は 「日本軍万歳」と叫んでいました。夜に、第13師団の残留捕虜約4,000人を釈放するために江岸に移動させたところ、パニックが起こり日本軍警戒兵を襲撃したため射撃を加え、約1,000人が射殺され、他は逃亡しました。

 アメリカ人の宣教師のミニー・ヴォートリンによれば、中国軍の統制が取れなくなり城内殆どの場所で掠奪が行われており、中国軍が城壁外側のすべての家屋と城内の家屋も焼き払った事は酷い過ちだ。被害者は中国の貧しい人々であり、なぜ南京を破壊せず引渡さなかったのだろうかと日記に綴っています。治安維持のために南京まで進軍した日本軍が、虐殺を行うとは到底思えません。当時の南京戦には朝日新聞の従軍記者も同行しており、 12月23日には南京市で自治委員会が設立して治安が回復している事を報道しています。

 1938年 ニューヨーク・タイムズでは将軍だけが逃亡し、その他の将兵らが「ねずみとりの中の鼠よろしく捕らえられ、日本の陸海軍の大砲や空軍が彼らをとらえて木っ端微塵にするような状況にすすんで置かれることを選んだ」と報道しています。南京戦に参戦した中国人兵士の告白本、『敗走千里』が刊行され100万部を超えるベストセラーとなりました。この本はGHQにより1946年に没収・封印されました。南京戦の実情が書かれていたからです。

 この年に発行された朝日グラフには日本軍入城後で、南京大虐殺が行わている時期の写真が掲載されています。平和的な写真ばかりです。中国共産党の用意した捏造証言を根拠に「南京事件」を事実とする朝日新聞と、それを指摘もせずに、中国に配慮する事で容認・擁護する日本の報道機関は正気を失っています。

「南京事件」の報道は、入城前から入城後に時期を変える事で、国民党軍の行った残虐行為と撤退戦の不手際を被害を大きくした上で、犯人を国民党軍から日本軍に付け替て、共産主義の残虐さを隠蔽して、日本人に自虐史観を植付て、保守思想を糾弾して、中国共産党の外交を優位にする事が目的の歴史捏造報道だと推察できます。

 日本軍が大虐殺を行ったと言うのは完全に捏造です。「南京事件」の証拠とされる写真・日記・証言の全てが捏造だと判明し、当時の報道と大きく矛盾しています。多くの人がその事を指摘しています。朝日新聞は報道機関を名乗るなら記事の再検証と、公開された論議の場で、記事の取り消しに応じていない理由の説明をお願いします。


・「万人抗」(まんにんこう)は本当に日本企業の所業ですか ?

「万人坑」(まんにんこう)とは満州を中心とする中国各地に存在する、日本人経営の鉱山や工事現場で使い物にならなくなった中国人労働者が生き埋めにされた「ヒト捨て場」と主張されるものです。中国語の坑は、生き埋めの意味があり、犠牲者の数を指して万人坑というのです。中国共産党は各地に日本の民間人に使い廃られた被害者と称して人骨展示館を多数建設しています。

「中国の旅」「万人抗」の記事で 、南満州鉄道が経営していた撫順炭坑(遼寧省撫順)と南満州鉱業(南満鉱業)が経営していたマグネサイト鉱山(同省大石橋)に存在するという「万人坑」を取り上げました。何万人もの中国人労働者を酷使した上で、生き埋めにして殺害したと報道したのです。

 連載直後、南満鉱業社友会代表者が朝日新聞社を訪れ、記事取り消しを求めて抗議しますが門前払いでした。また、撫順炭鉱の電気技師だった久野健太郎さんが「万人坑、防疫惨殺事件は事実無根である」と自著を添えて抗議の書簡を送りました。

 本多記者 は1986年3月に「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか」と返答したのです。

 南満鉱業は坑内掘はなく全山が露天掘りでガス発生のないマグネサイト鉱石です。通常の鉱山より安全です。何万人もの死者が出るはずはありません。朝日新聞は一切取材をせず中国の主張をそのまま記事にしているのです。

 万人坑に疑問を抱いた田辺 敏雄さんは、撫順炭鉱42人、南満鉱業13人、大石橋関係9人に調査をおこない「万人坑はなかった」との結論が出たとして、1990年『正論』に調査結果を公表します。翌月号では、 本多記者が「少数のアンケートで断定するのはおかしい」と反論しました。

 撫順炭鉱関係者でつくる「東京撫順会」は、全会員の約1,000人にアンケート調査をおこない、回答のあった469人の証言内容を精査した結果、「強制労働による犠牲者の"人捨て場"としての万人坑がなかったことははっきりした」と結論します。1991年4月~5月 東京撫順会と南満鉱業社友会が調査結果をもとにして「作り話等が歴史的事実として確定してしまうおそれがある」「事実であるかのごとき報道をされたままでは、同僚に対して、また国民に対し申し訳がたちません」として、朝日新聞に対して「万人抗」の関連記述の削除を求める申し入を行いました。

 6月17日 に朝日新聞は、「中国側証言を覆す確固たる証言が得られていない、(日本でなく中国での)精密な現地調査を考えている、求めに答えられない」とする回答を行ったのです。申し入れから30年、朝日新聞は無責任に事実解明の調査をまったく行っていません。「万人坑」を事実とする朝日新聞と、それを指摘もせずに、中国に配慮することで容認・擁護する日本の報道機関は正気を失っています。

「満州国警務総局保安局」が残した『魔窟・大観園の解剖 』 には「萬人坑」の記述があります。「大観園」というのは、ハルピン郊外にある下層社会地区、阿片・売春・賭博、など悪の巣窟です。そこにあった「貧民義地」を次のように説明しています。

「正しくは市立大有坊貧民義地と云ふ。この貧民義地の端に萬人坑の大穴があり、次々に乾枯らびた屍が素裸のままで抛りこまれる。哈爾賓(ハルビン)市中一ヶ年の斯る屍の数は大約四千である」

 ハルピン市だけで1年に約4,000人なら30年で12万人にのぼる勘定です。このように死体をほり込む「貧民義地」はハルビンで3ヵ所あったと書かれています。中国の因習を日本企業の残虐行為に付け替えた、歴史捏造報道だと推察できます。朝日新聞は報道機関を名乗るならば記事の再検証と、公開された論議の場で記事の取り消しに応じない理由の説明と記事を裏付ける取材資料の提示をお願いします。


 2006年9月「南京大虐殺記念館」から本多 勝一記者と、南京事件での日本軍被害者を30~34万人とする『近代戦史の謎』の著作者である洞 富雄(故人)に「特別貢献賞」が贈られます。

 2017年 GHQにより1946年に没収・封印されていた、日本に留学経験のある国民党軍の中国兵の告白本『 敗走千里』が復刻版として再刊行されて、南京事件の実情が明らかになります。「南京大虐殺記念館」 は、リニューアルします。朝日新聞の記事は信憑性が低いとの理由で、本多 勝一記者の写真ともども展示を取り下げられました。中国政府は日本軍が南京とそこに至るまでに殺害した総数が30万人と修正します。朝日新聞が「中国の旅」の根拠としていた中国側の証言が、中国政府により覆されたのです。


「河野談話」の元になった証言者に韓国軍慰安婦が混在していませんか?

 韓国の初代大統領、李 承晩(い すんまん)は共産主義者でした。 韓国軍も共産主義の軍と同様に一般人に対して、掠奪・強姦、を許可していました。対ゲリラ戦では、一般人を虐殺する清野作戦も実行します。ベトナムでの惨劇の原因です。韓国内でも凄惨な事件を起こしています。済州島では島民を虐殺して女性を強制連行しました。

 1950年6月25日 ソ連からの武器供与をうけた事で、軍事的に優位になった北朝鮮軍が韓国に侵攻する朝鮮戦争が勃発します。27日深夜1時に韓国の中央庁において非常国務会議で「国会議員は百万のソウル市民とともに首都を死守する」との決議がなされますが、同時に矛盾する水原への遷都も決定されます。李 承晩は午前3時に「国民保導連盟」の登録者が北朝鮮軍に呼応するのを恐れ、虐殺するように命じて、自身は真っ先にソウルから逃げ出します。ソウル市民に遷都の情報が知らされたのはその3時間後の午前6時でした。

 28日 午前1時頃、北朝鮮の戦車隊が市内に侵入します。午前2時30分、北朝鮮軍の南進を遅らせるため、約4,000人の避難民で溢れる漢江人道橋と3本の鉄道橋を韓国軍が爆破したのです。爆薬の不備から鉄道橋が2本残ったため北朝鮮軍の南進を遅らせる事は出来ませんでした。

 1950年12月 消耗した韓国軍を補充するために約40万人を動員して、50万人韓国軍を再編成しました。1951年1月4日に中朝軍にソウルを再度奪回され韓国軍は前線の後退作戦(1.4後退)を敢行します。極寒の中を徒歩で後退する兵士に対する物資供給(食糧・野営装備・軍服)が不足して、9万名余りの餓死者や凍死者と無数の病人を出す「死の行進」となったのです。李 承晩と韓国軍の幹部が軍事物資や兵糧を不正に処分して着服していたためです。

 朝鮮戦争中は罪のない自国民を100万人以上虐殺します。そのさい女性を強制連行して「第五補給品」として部隊に一定人数をあてがって性奴隷としています。兵士への報酬です。外貨を稼ぐために、国連軍相手に8~20万人もの慰安婦で国営売春もしています。固定式と移動式がありました「従軍慰安婦」とは移動式の別称です。 

 朝鮮戦争が一段落すると李 承晩は保身のために「日本は李朝を亡ぼし、朝鮮を植民地化して残虐な支配を行った。上海に亡命した独立運動家が『光復軍』を組織して朝鮮解放に貢献した。その臨政を引き継いだのが李承晩政権である」「朝鮮戦争で同族同士が殺し合うことになったのも、すべて南北分断をもたらした日本統治に原因がある」と歴史を捏造して、子供に反日教育を始めます。

 国際的に認められない李承晩ラインを引いて、竹島を占領しました。日本の漁船328隻を拿捕し、漁師3,929人を拘束、そのうち44人が死傷したのです。韓国では朝鮮戦争後も米軍相手の慰安婦制度が国営で運営されており、女性を騙して慰安婦にするので、レイプに伴う兵士による暴行死や自殺が多発している事は当時の新聞で確認できます。

 朝鮮戦争中に中国共産党は義勇兵を送って、韓国と国連の連合軍と戦いましたが、休戦時に賠償をしていません。中国共産党は、韓国の歴史捏造に沿って反日感情を煽ることで、賠償を忘れさせて、日米韓の離反を図るために、朝日新聞と日本の人権団体を使って、韓国軍が犯した戦争犯罪を日本軍に付け替えたのだと推察できます。 

 朝日新聞は慰安婦強制連行の「吉田証言」を1980年から報道します。1989年には済州新聞に否定され、日本政府の朝鮮女子挺身隊の聞き取り調査で捏造を疑われます。1990年に北朝鮮系の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会」が設立します。政府に働きかけて、国営の慰安婦制度を廃止させて、マスコミに働きかけて、自国の慰安婦報道を抑制して、日本軍慰安婦の報道を繰り返すことで世論誘導をしたのです。韓国では1990年までは全く日本軍慰安婦を問題にしていませんでした。「韓国挺身隊問題対策協議会」が日本軍慰安婦問題を作り反日感情を煽ったのです。

 1993年8月 日本政府は韓国政府の要請に応じて「河野談話」を作成するために、韓国で元慰安婦の聞き取り調査を行いました。証言には「ヘリで運ばれた」「ジープで運ばれた」「ドラム缶で運ばれた」「クリスマスは忙しかった」等の朝鮮戦争を連想する証言があり、明らかに朝鮮戦争中の慰安婦被害者が混在しています。この事を隠蔽する日本の報道機関は正気を失っています。元慰安婦の証言の内、比較的信頼性の高い16人分の証言を元に「河野談話」は作成されたのです。その資料はA4用紙13枚と言うお粗末なもので、大阪・熊本・台湾、など日本軍の慰安所がなかった場所で何年間も強制的に働かされたと語った女性が6人もいたのですが、事実として扱いました。

 1994年にカリフォルニア州で結成された世界的な反日組織 「世界抗日戦争史実維護連合会」は日系米国下院議員のマイク・ホンダへの資金や情報の提供、白馬事件の被害者のジャン・ラフ・オハーンの証言を広め、米国下院や国連に働きかけます。吉田清治は1995年に著作が創作であると告白しましたが朝日新聞は取消訂正をしませんでした。

 1996年「クマラスワミ報告書」が、1998年「マクドゥーガル報告書」が国連で採択されます。2007年 米国下院では「対日非難決議」がだされます。2011年から「韓国挺身隊問題対策協議会」が水曜デモと共に広報活動する事で、「日本軍が主に朝鮮人20万人を強制連行して性奴隷とした 」と言う歴史が捏造されたのです。


・金 学順(きむ はくすん)さんは本当に日本軍慰安婦ですか?

 2011年 朝日新聞はマスコミに公開された福島原発の「吉田調書」の内容に角度を付けて報道します。当時の菅 直人首相が東電全面撤退を阻止したと捏造したのです。他のマスコミは朝日新聞を非難しました。

 2014年 日本政府は「吉田調書」を公開します。米国では8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本軍慰安婦の強制連行を否定する調査結果が公開されます。9月11日 朝日新聞は福島原発の「吉田調書」と慰安婦強制連行の「吉田証言」の誤報を認めます。しかし、植村 隆記者の書いた金 学順(きむ はくすん)さんの2本の証言記事を根拠として「従軍慰安婦」の捏造を否定したのです。

 1991年 8月11日の証言記事では「『女子挺身隊』 の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」と掲載しています。8月14日 金 学順さんはソウルにて公式証言をします。「実母に妓生(キーセン)に売られて、満州で妓生の修行をして、妓生の検番の養父に連れられ中国に行った時、日本軍に拉致され慰安婦にされた」という内容です。彼女は「平壌からトラックに乗せられて強制連行され慰安婦にされた」と証言する予定でしたが、公式証言で事実に近い話しを語ってしまったのです。賠償を求める裁判中の12月25日二度目の証言記事を掲載します。内容は「地元での募集に応募したら、日本軍人と共に列車で運ばれ、戦場を連れまわされて、日本兵に無償でレイプされて、無償で慰安所で働かされた」と言うもので完全な作り話の捏造記事です。

 一部の識者から、植村 元記者が彼女が妓生に売られていた事実を認識していたのに、強制連行の日本軍慰安婦として印象付ける為に敢えて「『女子挺身隊』 の名で戦場に連行され」と記事を書いたとの指摘がありました。女子挺身隊の設立は1943年です。朝日新聞は対応として「慰安婦報道、第三者委」を立ち上げ検証します。記事の一部を訂正しますが、朝日新聞と「慰安婦報道、第三者委」は金 学順さんは元日本軍慰安婦であり、証言記事は捏造でないとしています。2015年から植村 元記者は記事の捏造を指摘した識者を名誉棄損で訴訟します。

 朝鮮系日本人が日本軍公娼(慰安婦)として働くには、募集に対して警察に応募します。18歳未満の場合は戸籍と両親の承諾の確認、その上で軍の面接に合格して初めて公娼として高給で働けたのです。1930年頃から日本政府は軍や警察を使い、朝鮮半島での誘拐や人身売買を厳しく取り締まっていました。

 当時17歳の彼女が日本軍に拉致されたと言う1939年に満州で大きな朝鮮人の人身売買組織が検挙されています。人身売買を取り締まっていた軍が、募集すれば集まる公娼を拉致するとは考えられません。以上の考察から彼女は日本軍慰安婦ではなく、満州での取締りが厳しくなったので、中国の売春宿に売られた、人身売買の被害者であり、彼女を元日本軍慰安婦として書かれた記事は2本とも捏造だと推察できます。

 2021年2月 ハーバード大学のラムザイヤー教授により「日本軍慰安婦は全て契約売春婦だった」とする論文が発表されました。3月11日 最高裁第1小法廷は、植村側の上告を退ける決定をします。植村 元記者による訴訟は最高裁まで全て敗訴が確定しました。裁判では記事は捏造だと認定されたのです。8月14日 金 学順さんは日本軍慰安婦ではないとする『赤い水曜日』が韓国で刊行されました。

 金 学順さんは単なる人身売買の被害者で、元日本軍慰安婦で無い事は明らかです。韓国の凄惨な歴史を隠蔽したうえで、植村 元記者の捏造である証言記事を根拠にして、日本軍よる「従軍慰安婦」の捏造を否定する朝日新聞と、それを指摘もせずに、韓国に配慮することで容認・擁護する日本の報道機関は正気を失っています。

 1992年1月11日 朝日新聞は「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は 8万とも20万人ともいわれる。」と報道しています。2002年「東アジアの平和と人権」 国際シンポジウム日本大会で、韓国の研究者により朝鮮戦争中に韓国軍が慰安婦を運用していた事実が発表されました。

 業者が主体の日本軍と異なり、外貨を得る為の国営売春です。韓国軍慰安婦は「挺身隊」と呼ばれていました。固定式と移動式がありました。「従軍慰安婦」とは移動式の別称です。総数は不明ですが休戦時に娼婦が30万人もいた事から、8~20万人と推定されます。この事は朝日新聞も2月23日に報道しています。

「従軍慰安婦」の報道は、朝鮮戦争から太平洋戦争に時期を変える事で、韓国軍の戦争犯罪を日本軍に付け替え、韓国の国営売春を隠蔽して、日本人に自虐史観を植付て、保守思想を糾弾して、韓国の反日感情を煽る事を目的とした歴史捏造報道だと推察できます。

 日本軍・日本政府が朝鮮系日本人慰安婦に売春を強要したり、日本兵がレイプしていたと言うのは完全に捏造です。朝日新聞には公開された論議の場で、「日本兵が朝鮮系日本人慰安婦を戦場で連れまわしてレイプしていたと」言う明らかな作り話の捏造記事が掲載された理由と、その記事を「慰安婦報道、第三者委」「記事に事実のねじ曲げない」とした根拠の説明をお願いします。新聞の正義が問われています。


・最後まで読んでくださりありがとうございます。

 共産主義に偏向した日本のマスコミにとっては非常に認めがたい内容です。ですので絶対に取り上げられないでしょう。しかし大変革が起こっている今こそ、朝日新聞は報道機関を名乗るなら真実を明らかにするべきです。

 そのためには日本国民が声を上げて新聞を正義に目覚めさせる必要があります。正しい情報は民主主義の生命線です。今までに朝日新聞が行ってきた歴史捏造を明るみに出したうえで、認めさせることでマスコミから中国共産党の影響を取り除き、偏向していない信頼できる報道機関を日本に取り戻しましょう。

 宜しければ拡散のご協力をお願いします。


令和 3年12月27日 大阪のネトウヨ



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